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BuzzFeed 3/11(月) 11:24配信
福島県の浜通りと中通りの間に拡がる山間部。
TOKIOが開墾した「DASH村」から南に約4キロ。福島第一原子力発電所から約25キロの場所に、葛尾(かつらお)という名の村がある。
この村が、ぼくのふるさとだ。【BuzzFeed Japan / 石井洋】
2011年3月11日に発生した原電事故で、村は「警戒区域」か「計画的避難区域」に指定され、全村民が避難を余儀なくされた。
村の仮役場と仮設住宅は、西に約25キロ離れた三春町に設置された。多くの村民は三春町に移り住んだが、もっと遠くや県外に出る人も珍しくない。
2016年6月12日、原則立ち入り禁止の「帰還困難区域」を除き、村内の避難指示が解除された。
生活基盤が変わった村民にとって、村に帰ることは喜ばしいことであると同時に、新たな不安を抱えることにもなった。
震災前は1500人だった村人の数は、今では290人に激減した。その半数以上が65歳以上。いわゆる「限界集落」を超え、「限界自治体」と言われることもある。
50年以上にわたり村民の胃袋を満たしてきた老舗の定食屋「石井食堂」も、避難解除に合わせて店を新築し、村へ戻った。
住人が激減した村にわざわざ戻り、食堂を再開したのはなぜか。
食堂を切り盛りする三代目の石井秀昭さんに話を聞いた。
ーー震災前後で店に何か変化はありますか?
特にメニューは変わってないかな。盛り付けが少しずつ変わりました。
もともと量が多い店なんで、仮設住宅で食堂やってるときにそれがちょっとした話題になって、それで少しずつお客さんが増えました。
その度にちょっとずつ量が増えていちゃった。でも、お客さんがびっくりする顔を見ると嬉しくなっちゃうんです。
それと、震災で皿が全部割れちゃったので、食器が変わりました。全国から支援物資としていただいた皿を使わせてもらってます。
一般家庭向きじゃない大きな皿もあって、皿に合わせて料理を作ってたら、また量が増えちゃった。
それでもお客さんが喜んでくれるから、まぁいいかな。
ーー地震から2日後に避難指示があったんですよね。
そうですね。2日後の夜、村の防災無線で避難指示が出たんです。
翌日も仕事をするつもりだったから食材の仕入れもしてたけど、とりあえす避難するかということで、自家用車で福島市に向かいました。
その後、会津坂下町に。その時、支援物資として、よく米や食べ物をいただいたんですよ。
ーーそれはありがたいですね。
なら恩返しをしなきゃなってことで、農家のボランティアや牛舎の手伝いをしていました。
その後、三春町の仮設住宅で暮らして、商店をオープンさせたんです。
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